「2..一般向け bT」の概要

『「得るは捨つるにあり」で新境地』

★私はこんな“テーマ”をこんな“心”で語りかけます!★


 「聴講対象者」はどちらかと言いますと、中高年者なかんずく、応分の人生体験者に向けています。人生哲学的(?)な言葉と受けとめられる「得るは捨つるにあり」は、元はと言えば、全国的なネットワークを持つ経営者団体「社団法人倫理研究所」が主幹する各地の「倫理法人会」が提唱する教訓の一つです。


 広島市倫理法人会副会長を務めた時代から強烈な印象を抱いた言葉ですが、私自身の奇しき人生の変遷にぴったりの教訓として話題を供します。少年時代から成人に至るまで、片時も離すことの出来ないステッキがありました。自力では百メートルも歩けない状態でした。その私は何度も神さまに祈ったことがあります。「神さま!もしボクのこの足で両手にものを持って歩けるようになりましたら、すべてのものを失っても悔いません。地位も財産も、名誉も何も要りません!!」と。


 満61歳にして、半世紀に及ぶステッキへの体重加重の無理が原因で左肩に激痛が生じ、医者の進言で初めて身障者手帳を取得の上、両足に「補助具」を装着したのです。爾来、歩く訓練を重ね、現在はステッキなしでも何とか歩けるようになったのですが、その折に奇しくも私の「神さまへの祈り」が叶えられたのです。願い通り、「全てを失った」のです。30数年間で育てた7社グループ企業のトップ経営者の地位や住む家、それに、20数件の公職、家内や家族までも手放しました。その代わり、私が得たものは失ったものの何十倍、いや数字などで計ることは出来ません。この辺りの生臭い話は、まさにドキュメンタリーストーリーです。


 例えば、こんな光景を想像して下さい。両手一杯に何か高価な宝物を握り締めていたとします。その眼前に夢や可能性を秘めた何かの材料や資料などがごろごろ横たわっていたとします。強欲に両手で宝物を握り締めているその人は、それを失いたくないために、ミスミスより大きな宝物を見過ごしせざるを得ないでしょう。


 反対に無欲で両手をフリーにしている人は、「ああ、有り難や!」とばかり手を伸ばしてその「幸せや宝物」を両手で掴むことが出来るのです。感謝の心を持って、です。財産相続問題や地位などへの確執などで人間が豹変する現実を前に、時としては捨てることの大事さ、それが新たな幸福を呼び込む事などを自身の人生体験を通して語ります。


前の講演テーマへ    講演テーマメニューへ    次の講演テーマへ

yoshida.yuuki@a-bombsurvivor.com

Sorry, the buttons below are not yet linked. 

TOP Greeting Profile(J) Profile(E)  My philosophy a-bombsurvivor testimony Philippines information  Hitorigoto Exclusive news Health advisor Writing records Lecture records Journals writing records SAM Links Questions Mail magazine Toppage records Scrolling-message records  English version

Copyright 2004-2009 Yuuki Yoshida All Rights Reserved